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院長のぐぶやき「しくれのんどりーむ」

復活版「シクレノンピータンの想い出、うえさかメンタルクリニック開院」

2013年8月 7日 |

前回、開院日の夜に長文の力作を完成させたのに操作ミスで消えてしまったようです。もう一度記憶をたどって復活させます。

 

復活版「シクレノンピータンの想い出、うえさかメンタルクリニック開院」  (8月6日、火曜日) 

 

うえさかメンタルクリニックが開院しました。朝からかかってくる電話は、患者さまの予約電話ではなく、お花屋さん、宅配業者からの確認電話。前日までに、胡蝶蘭が11鉢、届けられましたが、本日は、さらに 5鉢届けられて16鉢になりました。お花、観葉植物が合計42件、その他のお祝いが18件(お菓子、ワイン、時計、傘立て、飾り物など)。22.8坪の狭い空間が、お花、観葉植物でいっぱいになりました。多くの方々に祝福され幸せです。ありがとうございます。患者さまが何名来たかって?・・・それは内緒です。でも落下傘開業で初日 2名なら、まあまあでしょう(内緒になってない!!)。実は、初日ゼロでは悲しいなあ、と思い、見栄を張って 1名、大阪狭山市・AO病院外来で診察していた患者さまを 1名引っ張ってきました。Nさん、ありがとう。もう一人は、全くの初診患者さまでした。「8月2日に入っていた新聞のチラシを見てきました」。ありがとうございます。Jikkuri  1時間以上、落ち着いて、お話をすることができました。メンタルクリニックの立ち上がりは、ゆっくりです。落下傘開業なら、なおさらです。あせらず気長にやるつもりです。皆さま、よろしくお願い申し上げます。

   祝電が 9通来ました。その中に宮崎県西諸県郡高原町からの祝電が、私の心を熱くしました。「本日のご開業、誠におめでとうございます。栄えある今日の日を迎えられたことを心よりお喜び申し上げます。今後ともますますのご発展を心よりお祈りしております」。平凡な文面ですが、彼への想いと共に、私には行間に埋もれた多くのメッセージを感じることができました。

    私が、大阪府茨木市のA病院に精神科医師として勤めていた頃、お酒が大好きな一人の看護師長がいました。宴会になるとベロベロに酔っぱらいハチャメチャなことをする男でした。15m向こうから「ほら、受け取れよ」と言って、ゆで卵を投げてきたり(時には、こぼれたアルコールを拭いた雑巾が飛んできたり)することはザラでした。勤務を終えた夕方に医局でヘボ碁をよく打ちました。プレイステーション「バイオハザード」に嵌っていた頃は、当直の晩に深夜まで医局で 2人、カチャカチャやったものです。カラオケに行くと、決まって「時には娼婦のように」を歌っていました。酒癖は悪い男でしたが、友人に対する愛情、部下に対する愛情は強く、一見粗野なようでその裏に配慮が見られ、人望が厚い愛すべき人物でした。同僚、部下からは圧倒的な支持を受け、黙っていても背中で人々を引っ張るタイプの男でした。ただ、遠慮なく正論を吐くため、上司には嫌われるタイプでした。陰険で打算的な人物が、好みではない私は、そんな彼にシクレノンピータンと名付けて、仲良くさせてもらいました。

    8月 6日午後5時頃、宮崎県西諸県郡高原町の彼の自宅にお礼の電話をかけました。お嬢さんが電話に出て「お父さんは夜勤で出かけています」とのこと。私「以前、茨木市のA病院で精神科医師として勤めていた頃、お父さんに大変お世話になりました」。お嬢さん「はい、植坂先生、存じ上げております」。私のことを覚えていてくださった・・・嬉しくなってきた。しばらくお話して・・・、私「今、お仕事は・・・看護師さんですか?」。お嬢さん「はい、看護師をしております」。やっぱりそうか・・・。今から14年前、彼がまだ茨木市に住んでいた頃、未成年の息子さんが病気で亡くなりました。告別式に参列しましたが、彼が、最愛の息子を失った悲しみを抑えることなく、泣きながら、言葉に詰まりながら、挨拶する姿に、私も涙をながしました。「息子は亡くなりましたが、まだ娘がいます、親子 3人で生きてまいりますので、これからもよろしくお願い申し上げます」。彼が、身体を震わせながら挨拶する横に、セーラー服姿の中学2年生のお嬢さんがうつむいて立っていました。私は「おそらく、この女性は将来、看護師さんを目指すのだろうな」と思いました。看護師をしていることを、電話の向こうのお嬢さんから聞き、私は、とても温かいものを感じました。あのお嬢さんが、その後、ご両親と同じ職業・看護師を目指されたんだ・・・。「お父さまに、よろしくお伝えください」と言って電話を切る。うえさかメンタルクリニック第1診察室(ホワイトローズ)、患者さまは来ない、静かな部屋で、シクレノンピータンとの想い出を振り返る。阪神大震災の時、彼が450ccのオートバイに私を乗せて茨木市A病院から神戸市東灘区六甲アイランドまで送ってくれました。その後、彼からオートバイを借りて茨木市と六甲アイランドを2往復した記憶があります。交通事情の良くない1月の寒い朝、山手幹線から芦屋市の抜け道を通過して門戸厄神あたりから国道171号線に出て伊丹市を通って茨木市まで行ったことを思い出しました。約10年前、彼は家族を連れて故郷の宮崎県に帰っていきました。そのあとは、年賀状をやりとりする程度になっていました。そんな彼からの一通の祝電、私はとても嬉しいです。

 

    8月 6日(火)うえさかメンタルクリニック開院。人とのつながり、絆を大切にして、地域に根差した、地域の人々に信頼され愛されるメンタルクリニックを目指します。皆さま、応援してくださいね。

 

    Cyclennon  Point : 2(2)      130806     Heart  & Romanticism       By  CyclennonDream           ふ ~ ~ ~ やっと復刻しました。ところで、どうしてシクレノンピータンかって? それはですね、A病院職員旅行で横浜の・・・・・(中断、話せば長くなりますので割愛・・・・です)。

 

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