2月13日、 世界で初めて五大陸の最高峰登頂に成功した冒険家植村直己氏(昭和16年~昭和59年)が米国のマッキンリー山で消息を絶ってから丸30年を迎えた。植村直己氏の故郷・兵庫県豊岡市日高町(旧城崎郡日高町)にある市立植村直己冒険館には、夢を追い続けた植村直己氏の生き方に憧れる旅人が今も訪れる。同館は、最後となった登山中の日記の写しを 6月30日まで特別公開している。・・・「俺はこれで死ぬのかもしれない」「何か何んでもマッキンレー登るぞ」(原文のまま)・・・・・昭和59年 2月の日付で植村直己氏が残した日記は、捜索隊によって標高約4,200mにあった雪の洞窟から発見された。
植村直己氏の故郷は兵庫県豊岡市日高町上ノ郷(旧兵庫県城崎郡日高町上ノ郷)。植村直己氏の生家は、私の実家のすぐ近くです。旧国府村、同じ村なんです。私にとって植村直己氏は、府中幼稚園、府中小学校、府中中学校(現在の日高東中学校)、豊岡高校の先輩になります。私より12学年先輩ということになります。昭和43年 4月、日高東中学校が新規開校しました。日高町内の 3つの中学校(八代中学校、日高中学校、府中中学校)が統合合併して日高東中学校になったのです。中学1年、2年と自宅から徒歩10分の府中中学校に通っていた私は、中学3年生から新しい日高東中学校に通学することになりました。2クラス64人だった同級生が、8クラス250人になりました。ちょっと遠くなった中学校に自転車で約20分かけて通いました。日高東中学校が開校した昭和43年秋、当時27歳の植村直己氏が講演に来ました。正確には覚えていませんが、演題はたしか「アマゾン川いかだ下りの冒険」。明治大学山岳部出身の植村直己氏がスライドをつかって冒険談を話します。当時14歳、中学3年生だった私は、体育館でアマゾン川をいかだで下る植村直己氏の姿を写したスライド写真を見ながら「すごいことをする人がいるものだ」と驚き圧倒されました。若者に夢を与える講演とは、このことです。私は「人生には無限の可能性がある、何かに挑戦しようという気持ちを持って努力すれば夢はかなえられる」と教えられました。当時冒険家としては無名であった植村直己氏は、その後、エベレスト登山隊のメンバーに選ばれ登頂に成功して、その名を知られるようになりました。私にとっては、国民栄誉賞を受賞した偉大な故郷の冒険家です。夢を追い続ける姿勢、挑戦し続ける姿勢を見習いたいと思っています・・・・・・・でもね、冒険というのは、まずは生きて帰ってこなければ・・・・・・・・・・・・・・・
Cyclennon Point : 0(0) 140213 Heart & Romanticism By CyclennonDream
「訪問診療」と「往診」の違い・・・・・「訪問診療」「往診」どちらも医師に病状を診てもらう点では、変わりないのですが、全く違った医療サービスです。病院で受けられる医療サービスを、高齢者が療養しているところ、住んでいるところで提供するのが「在宅医療」です。「在宅医療」を大別すると「訪問診療」と「往診」に分けられます。
「訪問診療」とは、計画的な医療サービス(=診療)を行うことです。月に 2度(2~4度)の訪問診療を行うため、容態悪化の予防や施設にいながらの長期療養も可能になります。毎週〇曜日〇時と約束して医師が訪問の上、診療します。1週間ないし 2週間に 1回の割合で定期的、且つ、計画的に訪問し、診療、治療、薬の処方、療養上の相談、指導等を行います。急変時には緊急訪問に行ったり、入院の手配を行ったりするなど、臨機応変に対応することからも「第1のかかりつけ医」として、多くの場合、24時間体制で在宅医療をサポートするのが、訪問診療の特色です。
「往診」とは、通院できない患者さまの要請を受けて、医師がその都度、診療を行うことです。突発的な病状の変化に対して、救急車を呼ぶほどでもない場合など、普段からお世話になっているホームドクターにお願いして診察に来てもらうもので、基本的には困ったときの臨時の手段です。
はい、とても勉強になりました。ひとつ、ひとつ、吸収して行きましょう。
ソチ冬季五輪フィギュアスケート男子。羽生結弦選手(19歳)がショートプログラムでトップに立ちました。4回転ジャンプを成功させ、ノーミスで演技を終え、初の100点越えで、堂々の第1位です。高橋大輔選手は第 4位です。フリーが楽しみです。頑張れ、ニッポン。・・・何時まで起きてるんだ、って? いいんです、オリンピックですから、いいんです・・・・・?